一関市は本当は宮城県?

一関市

昨日の続きです。今日は、一関市の歴史を。

タイトルの通り、一関市はもしかしたら宮城県だったかもしれない、というお話です。

その前に、『一関市 江戸時代』とかで検索すると、一関藩とか田村藩とか出てきます。
仙台も同様、仙台藩とか伊達藩とか出てくるんですよ。
どっちなの?っていう話なんですが、これって諸説あって正直よく分からないので。
ここでは一関藩(一関市)と伊達藩(宮城県)とします。

ちなみに、一関藩は、事典で調べると以下です。
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江戸時代,陸奥国磐井郡一関地方 (岩手県) を領有した外様小藩。万治3 (1660) 年仙台藩支藩として伊達政宗の子宗勝が3万石を領し,寛文 11 (71) 年伊達騒動の結果土佐藩御預けとなるまで,および天和2 (82) 年から廃藩置県まで伊達氏一族田村氏が3万石を領した。江戸城柳間詰。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E9%96%A2%E8%97%A9-31343 より
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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つまり伊達藩の田村家が藩主として治めていたってことなんです。

で、その後の歴史は……
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明治4年(1871)廃藩置県によって一関藩は一関県になり、県庁は 旧一関藩知事田村邸に置かれた。その管轄区域・行政ともに藩政時代の延長であった。4ヶ月後には同じ名称であるが、行政区域は全 く違う新しい一関県が誕生した。しかし、わずか40日後には水沢県と改められて、一関県は消滅した。明治8年には磐井県になり、この間に県庁も一関から寺池、そして一関と変転した。

明治9年(1876)磐井県は廃されて岩手県になり、盛岡に県庁、一関に一関支庁が置かれた。(左写真 明治末期の郡役所・・裁判所 「20世紀の一関」より)
http://www.teganuma.ne.jp/ichi/rekishi/index.html より
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つまり、廃藩置県で一瞬、独立した県になったけど、数カ月で岩手県に吸収されたんだよってことです。

ここの過程に何があったかは不明です(汗。
だぶん、かなりドタバタしたんでしょうね。この辺のことはコメディーで描けそうです。

というわけで、小説の時代は1828年ですから、
当然、万五郎の故郷は伊達藩領の一関藩ということになります。
これは言い換えれば、宮城県一関市ってこと。
決して岩手県が嫌いなわけではなく、当時はそうだったので、そのつもりで読んで欲しいなということです。

なぜ、拘るかというとですね。
伊達男捕物帳ってサブタイトルが、手前味噌ですが上手いなぁ~と思うんです。
伊達藩の伊達と万五郎がおしゃれ好きの伊達男で、
久四郎も侠客なんで、それも伊達男って言うんです。

あ~上手い!
我ながら6文字で全てが伝わる、激ウマのタイトルだ!
なんて。

そうそう。
今週のいけころしでは、一関藩は超有名な歴史上の事件に関わっていた!という、
トリビア的な話に触れてます。
ぜひ、読んでくださいね!

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いけころし ~伊達男捕物帳~

著:吉田真童
毎週水曜更新

1828年の江戸を舞台に描く捕物帳シリーズ。
臨時廻り同心の万五郎と雲助の久四郎という、生きる世界が全く違う二人が悪人を捕まえる。生かすも人、殺すも人、しかしそれを裁く人間が真の正義を知っているのだろうか? 二人は模索しながら反発し時には協力し、それぞれの正義に従って悪を成敗する。