【いけころし3】医学の父・大槻玄沢
いけころし3の2話が本日アップされました!
↓岩手日日サイトから読むことができます。
先週分で登場した大槻玄沢。
皆さんは、どういう人か分かりますか?
名前は聞いたことあるけどな~って感じじゃないですか。
大槻玄沢は江戸の中期に活躍した医師です。
え!? 医師と言えば、杉田玄白じゃないの?
はい。玄沢は玄白の弟子でした。
西洋医学は江戸初期に蘭学として、主に長崎出島のオランダ医師を介して日本に伝えられました。
当時は、医学のことを蘭学と言ったんですね。
杉田玄白は小塚原刑場で女囚の腑分け (解剖) に参加して、
解体新書の記述の正確さに驚嘆し前野良沢、中川淳庵らと翻訳を開始します。
3年半の歳月をかけ安永3年(1774)についに完成させます。
ところが……。
この翻訳は正確ではありませんでした。
これは杉田玄白自身がよく分かっていました、
無理もありません。当時、オランダ語の通訳は長崎にいましたし、
江戸では誰も知らない言語の本、まして未知の医学の書を翻訳したのですから。
まず世に出すことに意義ありとして出版を急いだのですね。
その後、玄白は弟子の玄沢に解体新書の改訂を託します。
大槻玄沢は、大槻玄梁の長子として陸奥国磐井郡中里に生まれました。
玄沢が9歳の時。開業医であった父が藩医となり、翌年、一関に転居します。
13歳の時。同じ郷里の医師・建部清庵に師事し、早くから医学・語学に才能を示しました。
安永7年(1778)。玄沢が22歳の時。
江戸への遊学を許されて、清庵と手紙のやり取りをしていた杉田玄白の元で医学を学びます。
その後。玄沢は長崎でオランダ語を勉強し、仙台藩の江戸詰医師となります。
玄沢は様々な文献を読み、解剖を繰り返して実物で確かめながら執筆を進めました。
『重訂解体新書』は、出版までにほぼ36年の歳月を要し、
もはや解体新書の改定版の域を超え、玄沢の著書というべきものになっています。
この本には、玄沢が訳語として考案した言葉がでてきますが、
「結腸」「鎖骨」など現代の医学用語として生きつづけているものも多く含まれています。(一部、一関博物館HPより引用)
いかがでしょうか?
一般的にはあまり知られていない大槻玄沢ですが、
その功績は現代医学の礎を築いたといっても過言ではないと思いませんか。
いけころし ~伊達男捕物帳~
毎週水曜更新
1828年の江戸を舞台に描く捕物帳シリーズ。
臨時廻り同心の万五郎と雲助の久四郎という、生きる世界が全く違う二人が悪人を捕まえる。生かすも人、殺すも人、しかしそれを裁く人間が真の正義を知っているのだろうか? 二人は模索しながら反発し時には協力し、それぞれの正義に従って悪を成敗する。