表現の境界線を考える毎日
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ちょっと長くなります。
美大の公開講座の内容がセクハラだと女性受講生が訴えたそうです。
これについて、ネットでは訴えた女性について、
「会田誠でググってけ」とか、「当たり屋」とか言われています。
確かに、会田誠さんは僕でも知ってます。
個人的には、変態が過ぎるな、と思います(誉め言葉)。
この問題、僕は訴えた女性を一概には責めれないなと思っています。
現在、連載小説を執筆していて、新聞媒体ということもあり、
校正の時点で、「この表現は……」と指摘されることがあります。
僕としては大した思入れも無く、無意識に書いたその表現を指摘されるんです。
これは文句じゃないんです。ただ、ハッとするんです。
「そうか、この表現で嫌な気分になる人がいるんだ」
と、改めて思い知らされるんです。
話はちょっとそれまして、『ドラゴンタトゥーの女』という映画があります。
登場人物のリスベットという女ハッカーのキャラクターがとても魅力的で、
当時、映画館で3回観ました。
ただ、この映画、女性が虐げられるシーンがテンコ盛りで、
男の僕でも引いてしまうので、女性は観る人選ぶだろうなと思いました。
確か、3回目の日。一番後ろで一人で席に着いた僕は、
二つ前の列に、若い女性たちのグループが5、6人で座っていることに気づきました。
遠くからでも、みんなこの時を楽しみにワイワイ、キャピキャピしてる様子が見て取れました。
僕はそれを見て、「大丈夫?」と思いました。
映画が終わって、明かりがつくと、
その女性たちは、皆、ピクリともせずに座ってました。
そのうち、一人の子が「お、面白かったよね……」と、
みんなに同調を求めるように言いました。
他のみんなは、まちまちに「う、うん」と。
ちなみに、この映画R15指定されていています。
R18は成人映画ですから、ポルノを除けば一番厳しい指定です。
メインビジュアルも、決してユルい映画じゃないよ感を出しています。
もっと言うと、原作は全世界で800万部以上売れています。
つまり何を言いたいかというとですね。
どうやっても表現者とそれを受け取る人の齟齬って、
生じてしまうということなんです。
ただ、今の時代ですから、時代は変わってますから、
芸術なんだからグズグズ言うなと門前払いするのは、ちょっと違うなと思うんです。
センシティブな問題だからこそ、デリカシーを持って対応しないとなと。
それができてこそ、一流だと思うんです。
ただ……
全然、尖ってない物を書く意味あるだろうか? とも同時に思っています。
最後に。
作詞家の及川眠子さんは、この問題についてこのようにツイートしていました。
誰も傷つけないものを書こうとして凡庸な作品を生み出してしまう、私はそれを最も恐れる。表現者とは、自身の中のゴミや泥や宝石や、それらを吐き出さずにはいられない心の持ち主のことを言うんじゃないかな。
— 及川眠子『誰かが私をきらいでも』発売中 (@oikawaneko) 2019年3月1日
長々、すいませんでした。終わりです。
いけころし ~伊達男捕物帳~
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1828年の江戸を舞台に描く捕物帳シリーズ。
臨時廻り同心の万五郎と雲助の久四郎という、生きる世界が全く違う二人が悪人を捕まえる。生かすも人、殺すも人、しかしそれを裁く人間が真の正義を知っているのだろうか? 二人は模索しながら反発し時には協力し、それぞれの正義に従って悪を成敗する。